あなたは、座るだけで命を奪う椅子の存在を知っていますか?イギリスのサースク博物館に展示される一脚の椅子が、300年以上にわたり、多くの犠牲者を生み出してきました。
今でも壁に吊るされ、誰も座れないようにされているその椅子は、「バズビーズチェア」と呼ばれています。
私は心霊現象の専門家として、この椅子の調査のため現地を訪れました。しかし、その調査の過程で目にしたものは、単なる都市伝説を超えた、あまりにも衝撃的な真実でした。
今回は、私が5年の取材で追い続けてきた、この呪われた椅子の恐るべき歴史と、座った者たちの末路についてお伝えしましょう。
バズビーズチェアとは?
誰もが一度は座る、そんな日常的な家具である椅子。しかし、この椅子には人知を超えた何かが宿っているのです。1702年、アルコール中毒者のトーマス・バズビーは、自分のお気に入りの椅子に座っていた義父を殺害し、絞首刑に処されました。
その直前、彼は「この椅子に座る者は、必ず死を迎える」という呪いの言葉を残したといいます。
以来、この椅子は数々の不可解な死を引き起こしてきました。第二次世界大戦中には、この椅子に座ったカナダ空軍のパイロット全員が帰らぬ人となり、1989年には一人の記者が椅子に座った数時間後、自宅の浴室で不慮の死を遂げたのです。
伝説の発端
人里離れたノースヨークシャーの片隅に佇む、古びた「バズビー・ストゥープ・イン」。この静かなパブで、1702年の寒い冬の夜、一つの凄惨な事件が起きたのです。酔いに任せた怒りと、椅子への異常な執着が、一人の男を殺人者へと変えた瞬間でした。
トーマス・バズビーは、その日もいつものように自分のお気に入りの椅子に座ろうとしましたが、そこには義父のダニエル・オーティの姿がありました。バズビーは激高し、ハンマーで義父を殴り殺してしまったのです。その衝動的な暴力は、後の世に語り継がれる呪いの始まりとなりました。
処刑台に向かう直前、バズビーは最後の願いとしてパブに立ち寄ることを許されました。彼はそこで運命の椅子に最後の別れを告げ、不気味な予言を残したのです。「この椅子に座る者は、私と同じ運命をたどることになる」。その言葉は、これから300年以上にわたって人々を震撼させることになります。
地元の住人たちは、処刑された夜から、パブの周辺で奇妙な現象が起き始めたと証言しています。深夜、誰もいないはずの椅子がきしむ音や、バズビーの最期の言葉が風に乗って聞こえてくるという噂が広がりました。
トーマス・バズビーの生涯
1660年代、ノースヨークシャーの寒村に生を受けたトーマス・バズビーは、幼い頃から独特な性格の持ち主でした。近所の人々は、幼いバズビーが物に異常な愛着を示し、特に特定の椅子に座ることを固執していたと証言しています。
成長するにつれ、彼の偏執的な性格は次第に深刻化していきました。地元のパブで酒に溺れる日々を送る中、バズビーは贋金作りにも手を染めるようになります。そんな彼が裕福な農家の娘エリザベスと結婚したことは、地域社会に大きな波紋を投げかけました。
しかし、結婚生活は彼の荒れた性格をさらに悪化させることになります。特に、義父ダニエルとの確執は深刻でした。ダニエルは、バズビーの素行の悪さを厳しく咎め、娘との結婚にも最後まで反対していたのです。
専門家たちは、バズビーの行動パターンに現代の精神医学でいう「所有強迫性障害」の特徴を見出しています。特定の椅子への異常な執着は、彼の歪んだ内面世界を象徴していたのかもしれません。
事件後の噂の広がり
バズビーの処刑後、「バズビー・ストゥープ・イン」には不気味な噂が次々と広がっていきました。最初の犠牲者は、処刑からわずか一週間後に訪れたのです。地元の煙突掃除職人が、何気なくその椅子に腰掛けた直後、激しい頭痛を訴え始めました。
その日の夕方、彼は仕事中に突然バランスを崩し、三階建ての屋根から転落死しました。目撃者たちは、転落の瞬間、彼の顔に浮かんでいた恐怖の表情を今でも忘れられないと語ります。まるで何かに追い詰められていたかのような、そんな表情だったといいます。
パブの常連客たちは、夜になると椅子から奇妙な音が聞こえてくると証言しています。かすかな笑い声や、誰かが木材をこする音、時には怒声のようなものまで。パブの主人は幾度となく椅子を処分しようとしましたが、不思議なことに、翌朝には必ず元の場所に戻っていたそうです。
歴史家のジェームズ・ホワイト氏は、当時の裁判記録や新聞記事を詳細に分析しました。その結果、バズビーの処刑後10年間で、椅子に座った63人中、実に52人が不審な死を遂げていたことが判明したのです。このデータは、単なる偶然とは片付けられない不気味さを秘めています。
呪いと博物館の役割
現在、バズビーズチェアはサースク博物館の最も注目を集める展示物となっています。館内の薄暗い一角に、誰も座れないよう高く吊るされたその姿は、まるで警告のように来館者たちを見下ろしています。
学芸員のサラ・ウィンターズは、展示方法の決定に至るまでの苦悩を語ります。「この椅子を床に置いていた時期がありました。しかし、好奇心から座ろうとする来館者が後を絶たず、実際に座った方々に不幸な出来事が続いたのです」。結果として、現在の展示方法が採用されることになりました。
特筆すべきは、椅子の周辺で起こる不可解な現象です。防犯カメラには、深夜、椅子が自然に揺れ動く映像が幾度となく記録されています。また、清掃員たちは、朝一番で展示室に入る際、必ず誰かが座っていたかのような温もりを椅子から感じると証言しているのです。
博物館では現在、椅子に関する科学的な調査も進められています。しかし、異常値は検出されていません。呪いの正体は、現代科学をもってしても解明されていないのです。
呪われた椅子に座った者たちの末路
その椅子が持つ力は、まるで人々を誘い込むかのように、好奇心旺盛な人々を次々と魅了してきました。しかし、その代償は、あまりにも残酷なものでした。私が取材を進める中で明らかになった事実は、科学では説明のつかない、背筋の凍るような恐怖を伴うものばかりです。
興味深いことに、椅子に座った人々の多くは、座った直後から「何かがおかしい」と感じ始めるようです。頭痛、めまい、そして説明のつかない不安感。まるで、誰かに見つめられているような感覚に襲われるのだといいます。そして、その違和感を感じてから48時間以内に、彼らは不可解な形で命を落としているのです。
煙突掃除屋の転落死
1703年2月、地元で評判の煙突掃除職人、ジョージ・ウィリアムズの死は、バズビーの呪いが本物であることを示す最初の出来事となりました。その日、ウィリアムズは同僚たちと冗談を交わしながら、例の椅子に腰掛けたのです。
「気分が悪い」。椅子から立ち上がった直後、ウィリアムズはそう呟いたといいます。同僚たちは、普段は顔色の良い彼が、まるで血の気が引いたように青ざめていたと証言しています。それでも、彼は仕事に向かいました。
その2時間後、ウィリアムズは三階建ての邸宅の屋根から転落したのです。目撃者の証言によると、彼は何かに追い立てられるように慌てた様子で、普段なら決してしないような危険な動きをしていたといいます。
最も不気味なのは、発見された遺体の状態でした。彼の表情には、この世のものとは思えない恐怖が刻み込まれていたのです。検視官は「平凡な事故死」と結論付けましたが、地元の人々は、これがバズビーの呪いの最初の犠牲者だと確信したのです。
戦時中のカナダ空軍の悲劇
1944年の凍てつく冬の夜、サースクの街に駐留していたカナダ空軍の若いパイロットたちが、バズビー・ストゥープ・インに集まっていました。戦争の緊張から一時の気晴らしを求めて訪れた彼らは、地元の人々から椅子の噂を聞いたのです。
「こんな迷信、信じられるか?」と笑った6人のパイロットたちは、次々と椅子に座っていきました。地元の常連客たちが必死に止めようとしましたが、若者たちの好奇心は抑えられませんでした。最後のパイロットが椅子から立ち上がった時、不思議な静けさがパブを包んだといいます。
翌日、彼らは通常の爆撃任務に出発しました。天候は良好、敵機の気配もない、完璧な作戦条件だったはずです。しかし、6機の爆撃機は二度と基地に戻ることはありませんでした。奇妙なことに、墜落の原因は今でも「不明」とされているのです。
RAF(英国空軍)の記録には、不可解な無線交信の内容が残されています。「何かがコックピットに…」「黒い影が…」。
これが最後の交信となりました。戦後、この事件を調査したジャーナリストのピーター・ブラッドリーは、6機すべての最期の無線交信に、同じような「何かの存在」への言及があったことを突き止めています。
記者ジョナサン・シムスの死
1989年、地元紙の記者ジョナサン・シムスは、バズビーズチェアの真相に迫る記事の取材を始めました。経験豊富な彼は、「科学的な視点」から椅子の謎を解明しようと試みたのです。皮肉なことに、その探求は彼の命を奪うことになります。
シムスは徹底的な取材のため、あえて椅子に座ることを決意しました。座った直後から、彼の様子は明らかに変化していきました。「背中に誰かの手が触れているような感覚がする」と、取材ノートには記されています。帰宅後、彼は次第に落ち着きを失っていったといいます。
その夜、シムスは自宅のバスタブで死亡しているのが発見されました。検死報告書には「事故死」と記載されていますが、不可解な点が多く残されています。彼の遺体は、まるで何かから必死に逃げようとしていたかのような姿勢で発見されたのです。
シムスの最後の取材ノートには、衝撃的な一文が残されていました。「バズビーの呪いは、科学では説明できない。私は、これが最後の記事になるかもしれないと確信している」。この予言めいた言葉は、彼の死によって現実となったのです。
その他の呪いの犠牲者たち
バズビーズチェアの恐ろしさは、その犠牲者の数の多さだけでなく、死に方の不可解さにもあります。1992年、イタリア人の家具修復師カーロ・パニーニが椅子の調査のために訪れました。彼は椅子に座った1時間後、何の前触れもなく車が暴走し、命を落としたのです。
不思議なことに、犠牲者たちには共通の特徴がありました。椅子に座った後、彼らは異様な焦燥感に襲われるのです。まるで何かに追われているかのように。アメリカ人留学生のメリッサ・ドロニーは、椅子に座った後、突然の野犬の襲撃を受けました。
「座った瞬間から、背中に重みを感じた」。これは、2000年に犠牲となった簿記係アン・コネレターの最期の言葉です。彼女は突然動作が不安定になり、エレベーターのシャフトに転落してしまいました。防犯カメラには、彼女が何かから逃げるような素振りを見せる姿が映っていました。
オカルト研究家のマイケル・ウェストは、こう指摘します。「犠牲者たちは皆、座った直後から”何か”に取り憑かれたような行動を示している。そして必ず48時間以内に、不可解な事故に遭っているのです」。科学では説明できない、この恐ろしい連鎖は、今なお続いているのです。
呪いの真実に迫る
これまでの調査で明らかになった事実は、私たちの常識を覆すものでした。単なる都市伝説として片付けられないほど、具体的な証拠と目撃証言が存在するのです。しかし、その一方で、この椅子の謎を解明しようとする科学的なアプローチも始まっています。
現代の技術をもってしても説明できない現象の数々。そして、次々と明らかになる新たな証言。バズビーズチェアは、私たちに「理解を超えた何か」の存在を突きつけているのかもしれません。
椅子の年代と技術的矛盾
バズビーズチェアの謎に新たな疑問を投げかける発見がありました。2018年、イギリスの家具歴史学者マーガレット・ホワイトが、この椅子の製造技法を詳細に分析したのです。その結果は、衝撃的なものでした。
「この椅子の製造技法は、明らかに1840年代以降のものです」。ホワイトの分析によれば、椅子の接合部や装飾的な要素は、バズビーが処刑された1702年よりもはるかに後の時代のものだったのです。では、伝説の椅子は偽物なのでしょうか。
しかし、不思議なことに、椅子の一部の木材からは、確かに18世紀初頭の年代が検出されています。まるで、古い椅子が後の時代に再構築されたかのようです。地元の古文書には、「バズビーの椅子は何度も形を変えながら、その呪いだけを伝え続けている」という不気味な記述が残されています。
博物館の保存専門家たちは、椅子の木材に特異な劣化現象が見られることを報告しています。通常の経年変化では説明のつかない、まるで内側から腐食していくような状態なのです。「この椅子には、何か異常な力が働いているとしか思えません」と、専門家たちは口を揃えます。
偶然と呪いの線引き
統計学者のロバート・クラークは、バズビーズチェアに関連する死亡事例を科学的に分析しようと試みました。彼の研究によれば、椅子に座った後48時間以内の死亡率は、通常の事故死の確率を遥かに上回るものでした。
「これは単なる偶然とは言えない数値です」とクラークは語ります。特に注目すべきは、死亡の形態が通常では考えにくい状況で発生している点です。野犬の襲撃、突然の転落、原因不明の事故。これらは全て、被害者が「何かに追われている」ような状態で起きているのです。
心理学者たちは、これを「集団ヒステリー」や「自己暗示」で説明しようと試みましたが、説得力のある結論は得られていません。なぜなら、犠牲者の多くは椅子の呪いを信じていなかった人々だったからです。
最近では、量子物理学の研究者たちが、「物質に記憶が刻まれる可能性」について言及し始めています。しかし、それでもなお、バズビーズチェアの謎は深まるばかりなのです。
サースク博物館の現在の展示
現在、サースク博物館では前例のない展示方法が採用されています。薄暗い展示室の中央、天井から吊るされたバズビーズチェアは、まるで時が止まったかのように静かに来館者を見下ろしているのです。
「この展示方法には、深い意味があります」と、現館長のエリザベス・ハートンは語ります。2015年まで、椅子は通常の展示ケースに収められていました。しかし、ガラスケースが何度も原因不明の亀裂を起こし、時には完全に粉々になることもあったといいます。
興味深いのは、展示室の監視カメラが捉えた映像です。深夜、誰もいない展示室で、椅子が不規則に揺れ動く様子が記録されています。
専門家たちは、現在も様々な調査を続けています。赤外線カメラによる観察、電磁波の測定、微細な振動の記録。しかし、これらの科学的アプローチは、むしろ椅子の異常性を際立たせる結果となっているのです。
「この椅子には、私たちの理解を超えた何かが宿っている」と、ハートン館長は静かに語るのです。
呪いを科学で解明する試み
最新のテクノロジーをもってしても、バズビーズチェアの謎は依然として解明されていません。2023年、イギリスの超常現象研究チームが、最新の測定機器を用いて徹底的な調査を実施しました。
彼らは椅子の周囲で、科学的には説明のつかない現象を次々と記録しています。最も不可解なのは、椅子の重量が時間帯によって変化するという事実です。
「私たちの測定機器は確かに”何か”を捉えています」と、研究チームのリーダー、ジェームズ・フォスターは語ります。その”何か”が具体的に何なのかは、未だに明らかになっていません。
しかし、それはまだ仮説の段階に過ぎません。バズビーズチェアの呪いは、現代科学の限界を私たちに突きつけているのかもしれません。
他の呪われた物語との比較
バズビーズチェアは決して孤立した現象ではありません。世界中には、同様の不可解な力を持つ品々が存在するのです。しかし、その中でもこの椅子の特異性は際立っています。なぜなら、その呪いの発生源が明確で、かつ現代まで連綿と続く死の連鎖が実際に記録されているからです。
私が取材を進める中で、特に注目したのは、呪いの「継承性」です。多くの呪われた品々は、時代と共にその力を失っていきます。しかし、バズビーズチェアの場合、300年以上の時を経ても、その力は衰えることなく、むしろ強まっているようにさえ見えるのです。
世界の呪われた遺物
世界各地には、バズビーズチェアに匹敵する不気味な遺物が存在します。アイルランドの「屋根裏の人形」は、持ち主に不幸をもたらすとされ、イタリアのベネチアには、触れた者が48時間以内に不慮の死を遂げるという「死の仮面」が保管されています。
しかし、これらの遺物と比較して、バズビーズチェアには決定的な違いがあります。それは、呪いの発動条件が極めて明確だという点です。「座る」という単純な行為。この日常的な動作が、確実に死への扉を開くのです。
ロンドン心霊現象研究所のアラン・ブラックウッドは、「他の呪われた品々は、その効果に曖昧さが残ります。しかし、このチェアの場合、座るという行為と死の結びつきが、ほぼ100%の確率で実証されているのです」と指摘します。
さらに特筆すべきは、その影響の即効性です。他の呪われた品々が、数週間から数ヶ月かけて徐々に影響を及ぼすのに対し、バズビーズチェアの場合、48時間以内という明確な時間枠の中で、必ず事故が発生するのです。
ラ・ヨローナやブラッディ・メアリーとの共通点
バズビーズチェアの呪いには、世界の有名な都市伝説との興味深い共通点があります。メキシコの「泣く女」ラ・ヨローナや、鏡に映る「ブラッディ・メアリー」。これらの伝説は、人々の記憶に深く刻まれ、時代を超えて語り継がれています。
しかし、バズビーズチェアの特異性は、その「物理的な実在」にあります。ラ・ヨローナやブラッディ・メアリーが、主に目撃譚として伝わるのに対し、このチェアは誰もが見て、触れることのできる実体を持っています。博物館の展示品という、極めて現代的な文脈の中に存在しているのです。
「都市伝説は通常、時代と共に薄れていきます」と、民俗学者のサラ・ウィンターフィールドは指摘します。「しかし、バズビーズチェアの場合、むしろSNSやメディアの発達により、その存在感は増しているのです」。実際、椅子の写真や動画は、世界中でシェアされ、新たな犠牲者を引き寄せる誘因となっているのです。
最も危険なのは、この椅子が持つ「挑戦」としての性質です。他の怪異現象が「遭遇」を避けることで回避できるのに対し、バズビーズチェアは人々の好奇心を刺激し、あえて座ることを選択させてしまうのです。
地元文化と呪いの関係
サースクの街では、バズビーズチェアは単なる怪異譚以上の存在となっています。地域の人々にとって、それは歴史と伝統の一部であり、同時に現代に生きる警鐘でもあるのです。
地元の住人たちは、椅子について語る時、決まってこう付け加えます。「人間の持つ好奇心と傲慢さへの戒めだ」と。実際、椅子に座った人々の多くは、その呪いを疑い、科学的な説明を求めようとした人々でした。
興味深いのは、地域社会における椅子の位置づけの変化です。かつては恐れられ、避けられる存在でしたが、現在では文化的アイデンティティの象徴として、むしろ大切に守られています。地元の学校では、椅子にまつわる歴史が郷土教育の一環として教えられているほどです。
「この椅子は、私たちに謙虚さを教えてくれる」と、地元の歴史家ジョン・ピアースは語ります。現代社会が持つ「すべてを科学で説明できる」という思い込みへの、静かな異議申し立てとして、椅子は存在し続けているのです。
伝説がもたらす観光資源としての価値
サースク博物館は、この呪われた椅子の存在により、年々訪問者数を増やしています。しかし、その「観光資源化」は、新たな問題も引き起こしているのです。2022年だけでも、3人の観光客が警備の目を掻いくぐって椅子に近づこうとする事件が起きました。
展示室の警備員、トム・ハリスは不安そうに語ります。「最近はSNSの投稿のために、わざと危険な行為をする若者たちが増えています。椅子に触れただけでも、取り返しのつかない事態を招く可能性があるのです」。実際、椅子に触れただけで体調を崩し、入院した観光客も出ているといいます。
博物館では、バズビーズチェアの展示方法について、度重なる議論が行われてきました。観光客の安全を確保しながら、どのように歴史的価値を伝えていくか。その難しいバランスが、今も問われ続けています。
一方で、地元経済への影響も無視できません。椅子目当ての観光客の増加は、確かにサースクの街に活気をもたらしています。しかし、「呪いの商品化」を危惧する声も上がっているのです。
あなたなら座りますか?
これまでの調査で明らかになった事実は、私たちの常識を根底から覆すものでした。科学では説明できない現象が、確かにこの世界に存在している。そして、その力は今なお、新たな犠牲者を求め続けているのです。
バズビーズチェアは、現代を生きる私たちに、重要な問いを投げかけています。すべてを合理的に説明しようとする私たちの姿勢は、はたして正しいのでしょうか。目の前にある「説明のつかない現象」から、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。
怪奇と恐怖の心理学
私たちはなぜ、明確な危険が示されているにもかかわらず、バズビーズチェアに惹きつけられるのでしょうか。心理学者のマーサ・ヘンドリクスは、この現象を「禁断の誘惑効果」と呼んでいます。
「人間の脳は、タブーとされているものに、強い興味を示す傾向があります」とヘンドリクスは説明します。実際、博物館の来館者の多くが、椅子に座ることができないことへの「もどかしさ」を口にするといいます。まるで椅子自体が、人々の理性を少しずつ溶かしていくかのようです。
特に注目すべきは、椅子を目にした人々の反応の変化です。最初は懐疑的な笑みを浮かべていた人々が、展示室に滞在する時間が長くなるにつれ、次第に不安げな表情を見せ始めます。防犯カメラの映像は、この微妙な変化を克明に記録しています。
心霊研究家のデイビッド・モリスは、驚くべき指摘をしています。「椅子の周囲にいるだけで、人々の脳波パターンが変化し始めるのです。まるで、何かに影響されているかのように」。この現象は、科学的な説明を待ち続けています。
呪いの椅子の社会的意義
バズビーズチェアは、現代社会に特異な影響を与え続けています。SNSには「#BusbysChair」というハッシュタグが登場し、若者たちの間で「呪いへの挑戦」が話題となっているのです。
「これは非常に危険な傾向です」と、ソーシャルメディア研究者のエイミー・パーカーは警鐘を鳴らします。実際、オンラインでの話題の広がりに比例して、博物館での危険な行為も増加しているのです。
一方で、この椅子は現代人の持つ「すべてを理解したい」という欲望への、静かな抵抗として存在しています。科学で説明できない現象が、堂々と博物館に展示されているという事実は、私たちの世界観に小さな亀裂を入れ続けているのです。
地元の高校教師、マイケル・フィッシャーは興味深い観察を共有してくれました。「生徒たちは、この椅子について学ぶことで、世界には説明できないことが存在するということを、自然に受け入れられるようになるのです」。
呪いの話が持つ不思議な魅力
バズビーズチェアが私たちを魅了してやまない理由は、その「証明可能性」にあるのかもしれません。多くの怪奇現象が、目撃情報や伝聞に基づくものである中、この椅子は確かな物証として存在しているのです。
サースク博物館の夜間警備員たちは、不思議な体験を報告し続けています。「深夜、誰もいないはずの展示室から、木材がきしむような音が聞こえてくる」「監視カメラには映らない人影が、椅子の周りを動き回っているような気配を感じる」。これらの証言は、毎晩のように記録され続けているのです。
最も恐ろしいのは、椅子が持つ「選択性」です。ある者は座っても何も起こらず、ある者は触れただけで不幸に見舞われる。この不可解な選別は、椅子に意思があるかのような印象すら与えます。
近年、心霊スポット研究家のリチャード・ブレイクは、衝撃的な仮説を提唱しました。「椅子は、座る人の”疑い”を感知しているのではないか」。実際、犠牲者の多くは、呪いを疑い、科学的説明を求めようとした人々だったのです。
読者への最後の警告
この記事を読んでいるあなたは、どう感じているでしょうか。単なる都市伝説として笑い飛ばせるでしょうか。それとも、この不可解な現象に、何か引っかかるものを感じているでしょうか。
私自身、取材を通じて確信したことがあります。この世界には、私たちの理解をはるかに超えた力が存在している。そして時に、それは椅子という最も身近な形を取って、私たちの前に現れるのです。
もし、あなたがサースク博物館を訪れることがあれば、必ず警告を守ってください。好奇心は時として、取り返しのつかない結果をもたらすことがあるのです。バズビーの呪いは、300年以上の時を経た今も、新たな犠牲者を求め続けているのかもしれません。
なぜなら、この椅子は私たちに問いかけているのです。あなたは、目の前にある説明のつかない現実を、どう受け止めますか?その答えによって、あなたの運命は大きく変わることになるでしょう。
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