あなたは、歴史の闇に葬られた村の存在を信じますか?
西郷隆盛が残した記録の中に、ある奇妙な村の記述があります。戊辰戦争の最中、彼が遭遇したという村は、どの地図にも載っていない。そして、その村に足を踏み入れた兵士たちは、異様な体験を口にしては、突如として口を閉ざしたといいます。
私、心霊ブロガーの小笠原ツトムは、8年間の取材経験の中で、この「消えた村」の謎を追い続けてきました。そして今、ついにその全容が見えてきたのです。
しかし、この記事を読み進める前に警告させていただきます。これから語る内容は、あなたの常識を根底から覆すかもしれません。そして、もしかしたら、あなたの日常にも、この「消えた村」の影が忍び寄っているかもしれないのです。
西郷隆盛が遭遇した村:失われた記録の謎
幕末の動乱期、数々の戦いを指揮した西郷隆盛。しかし、彼の残した膨大な記録の中に、どうしても説明のつかない「一つの村」との遭遇があります。
当時の地図には存在しないその村は、まるで霧の中から突如として現れたかのように描写されています。
そして驚くべきことに、その記録の大半は、後に何者かによって抹消されていたのです。なぜ、この村の記録は消されなければならなかったのでしょうか。
そして、その村で何が起きていたのか。闇の中に葬られた真実を、今ここで明らかにしていきます。
西郷が語る「戦場の村」とは?その奇妙な存在
西郷の日記には、こう記されています。「昨夜の雨が上がり、霧の晴れ間に一つの村が見えた。しかし、この地にかような村があるはずもない」
戦場となった山間部で、突如として姿を現した村。西郷は当初、敵軍の陣地かと疑いましたが、村には普段通りの生活を送る村人たちの姿があったといいます。
しかし、その様子は明らかに異様でした。村人たちは誰一人として、兵士たちに目を向けようとしない。まるで、そこに軍隊がいないかのように、日常の動作を繰り返すだけだったのです。
夜になると、村からは不思議な光が漏れ、どこからともなく経文を読む声が聞こえてきたといいます。西郷は部下に村の監視を命じましたが、翌朝には村の姿は消え、ただ荒れ地が残されているだけでした。
子供の泣き声や、数珠を繰る音だけが、かすかに風に乗って聞こえてきたと、西郷は記しています。
当時の兵士たちが口を閉ざした異様な体験
「あの村に、人は住んでいなかった」—— 80年後、臨終の床で語られた一人の元兵士の告白です。
戦場を生き抜いた兵士たちは、その村のことを話そうとすると、突然の頭痛や吐き気に襲われたといいます。まるで、何かに口を封じられているかのようでした。
しかし、酒に酔った夜、時折漏らされる断片的な証言がありました。「家々から漏れる明かりは、青白く揺らめいていた」「村人たちの足が、地面に着いていなかった」「夜な夜な聞こえる数珠の音は、いつしか骨の触れ合う音に変わっていった」
最も不気味なのは、複数の兵士が同じ証言をしていることです。「村の中心には、黒い着物を着た老婆が座っていた。振り返ると、その顔は…」と、ここまで語ったところで、全員が言葉を失ったというのです。
その後、この村を目撃した兵士たちは、次々と奇妙な事故や病に見舞われ、短命を遂げたといいます。生き残った者たちは、死の間際まで「あの老婆が来る」と怯え続けたそうです。
西郷と村を繋ぐ奇怪な手がかり
「この古文書は、西郷の遺品から発見されたものです」
そう語るのは、郷土史研究家の井上正道氏。彼が見せてくれたのは、虫食いだらけの一枚の村の絵図でした。
描かれているのは、まるで通常の村とは異なる配置の家々。そして中央には、「封」の文字が大きく記されています。さらに注目すべきは、絵図の端に記された「還ラズ」の二文字。西郷自身の筆跡だと確認されています。
「この絵図には、ある種の呪術的な要素が含まれているようです」と、古文書解読の専門家は指摘します。家々の配置が、密教の曼荼羅の形を成しているというのです。
そして、絵図の裏面には、かすかな血痕のような赤い染みが。科学分析の結果、これは確かに人血であることが判明しました。しかし不思議なことに、その血液は現代の分析でも「年代特定不能」とされているのです。
「西郷は何かを封じ込めようとしたのではないか」と、井上氏は静かに語ります。
謎の失踪事件:消えた村人たちの行方
歴史の闇から浮かび上がってきたのは、さらに不可解な事実でした。
明治初期、この地域では次々と村人たちが失踪する事件が発生していたのです。記録によれば、失踪者の数は実に127人。そして、彼らが最後に目撃された場所は、例外なく「消えた村」があったとされる場所の周辺でした。
「失踪者たちには、ある共通点がありました」と語るのは、当時の記録を研究する民俗学者の山田惠子氏です。それは、失踪の前日、全員が同じ夢を見ていたこと。「老婆に導かれ、村への帰り道を教えられる」という夢でした。
さらに不気味なことに、失踪者の家には必ず「数珠」が置かれていた。しかし、それは通常の数珠ではありませんでした。白く、妙に冷たい、まるで骨で作られたかのような数珠だったのです。
これらの数珠は、その後、警察の証拠品保管所から忽然と姿を消したといいます。
なぜ村の記録は抹消されたのか?残された痕跡
「公文書の一部が、意図的に黒く塗りつぶされているのです」
そう指摘するのは、明治期の公文書を研究する史料学者の中村美智子氏。彼女が発見したのは、明治政府による極秘の調査記録でした。
その記録によれば、政府は「消えた村」の調査を行っていた形跡があります。しかし、調査の詳細を記したページは、すべて黒く塗りつぶされているか、切り取られていました。
唯一残された記述には、こうあります。「この事象は、国家の安寧を脅かす危険性を孕んでいる。よって、全ての記録は抹消し、関係者への口止めを徹底せよ」
さらに興味深いのは、この記録の最後に付された「警告」です。「村の封印を解くことなかれ。さもなくば、我が国は取り返しのつかない災厄に見舞われることとなろう」
なぜ、明治政府はここまでの警戒を示したのでしょうか。
「消えた村」に残る怨念:戦いの爪痕
戊辰戦争から150年以上が経過した今も、その地には異様な空気が漂っています。地元の人々は、夜になるとこの場所を避けて通ります。そこには、まだ何かが残されているというのです。
私が取材で訪れた際、真っ先に気付いたのは異様な静けさでした。虫の声も、鳥のさえずりも聞こえません。まるで、生き物たちが本能的にこの場所を避けているかのようです。
そして、この土地で起きている怪異な現象の数々。それは、かつての戦場が、まだ何かを語り続けているかのようでした。
戦場で囁かれる「魂の叫び」:兵士たちの証言
「夜中になると、どこからともなく銃声が聞こえてくるんです」
そう語るのは、この地域で代々警備員を務める斎藤家の当主、斎藤正義さん(仮名)です。月明かりの晩、特に旧暦の戦いが行われた日に近づくと、異様な現象が起きるといいます。
かすかな叫び声、馬のいななき、そして武具の触れ合う音。しかし、音は常に遠くから聞こえ、近づこうとすると消えてしまうのだとか。
最も不気味なのは、これらの音が録音機器には一切記録されないという事実です。「まるで、音そのものが、生きている人間の耳にだけ届くように仕組まれているかのようです」と斎藤さんは語ります。
複数の目撃者が、同じような体験を報告しています。そして彼らの証言は、150年前の兵士たちの記録と、不気味なほど一致するのです。
村の廃墟に現れる霊の姿とは?その正体に迫る
霧の深い夜、この地を訪れる者たちが目にするという「影」の正体。
「人の形をしているのですが、どこか違う」と語るのは、プロカメラマンの木村秋子さん(仮名)です。深夜の撮影中、彼女のカメラが捉えたのは、異様な姿でした。
写真には、立ち尽くす人影が写っています。しかし、よく見ると、その影は地面に接していない。そして、その姿は徐々に上へと伸びていき、やがて人とは似ても似つかぬ形に変化していくのです。
「私の写真は全て生データのまま保存してあります。画像処理は一切していません」と木村さんは強調します。しかし、その写真を見せてもらおうとすると、データは突如として破損。復元を試みても、まるで何かに阻まれるかのように、必ず失敗するのです。
西郷も感じた異様な気配:生者を拒む土地
「この地に入った瞬間から、馬たちが異様な反応を示し始めた」
西郷の従軍記録には、そんな記述が残されています。普段は従順な軍馬たちが、この土地に近づくだけで震え始め、中には突如として暴れ出す馬もいたといいます。
そして現代でも、この現象は続いています。地域の乗馬クラブでは、この場所を迂回せざるを得ないと言います。「動物たちは何かを感じ取っているのでしょう。特に、日が傾き始める頃になると、馬たちは決してその場所には近づこうとしません」と、クラブのインストラクターは語ります。
人間もまた、身体的な異常を感じると言います。急な頭痛、めまい、そして理由のない吐き気。まるで、土地そのものが、生きている者を拒絶しているかのようです。
西郷もまた、この土地で「説明のつかない重圧」を感じたと記しているのです。
夜中に響く「無念の叫び」:奇妙な現象の記録
深夜0時を過ぎると、異変が始まります。
地元の民俗研究家、田中裕子氏が収集した証言によれば、毎年旧暦の8月15日前後に、特に顕著な現象が起きるといいます。
最初は、かすかな読経の声から始まります。どこからともなく響いてくるその声は、次第に悲痛な叫びへと変わっていく。そして、その叫びに混じって、数珠を回す音が重なっていくのです。
「声は必ず東から西へと移動していきます。まるで、かつての村の形をなぞるかのように」と田中氏。しかし、録音を試みても、機器には何も残らない。防犯カメラの映像にも、異常は記録されないのです。
ただし、この現象を目撃した人々の証言は、不気味なほど一致しています。「あれは、人の声ではありませんでした」と、彼らは口を揃えて言うのです。
誰も語らない「村の呪い」:封じられた理由とは
「その話題は、タブーとされています」
地元の古老は、そう前置きしてから、重い口を開きました。
言い伝えによれば、その村には古くから伝わる「秘儀」があったといいます。しかし、その秘儀の詳細を知る者は、突如として姿を消していった。残された古文書にも、その部分だけが黒く塗りつぶされているのです。
「村が消えたのは、むしろ必然だったのかもしれません」と、ある神主は静かに語ります。「あまりにも強い怨念は、時として現世に留まることができない。だからこそ、村ごと別の場所へ遷されたのではないでしょうか」
しかし、その「別の場所」とは、果たしてどこなのか。そして、なぜ今もなお、その痕跡が現世に現れ続けているのか。答えは、まだ見つかっていません。
史実とリンクする証拠:現代に甦る村の亡霊
私たちの取材班は、古文書や証言だけでなく、現代に残る物的証拠を探し始めました。すると、思いもよらない発見が次々と浮かび上がってきたのです。
驚くべきことに、現代の地図には記載されていないこの村の痕跡が、衛星写真には確かに写り込んでいました。そして、その配置は西郷の残した絵図と、寸分違わぬ位置関係を示していたのです。
地元住民が目撃した「亡霊の集会」:その場所と時間
「あれは、去年の旧盆の夜でした」
地元の農家、佐藤明夫さん(仮名)は、震える声でその夜の出来事を語り始めました。
夜露の確認に畑へ出た佐藤さんが目にしたのは、月明かりの下で輪になって座る十数人の姿。しかし、よく見ると、その人々の着物は明治時代のもの。そして、全員が一様に西の方角を向いて、数珠を回していたといいます。
「声をかけようとした瞬間、全員が同時にこちらを振り向いて…」と、佐藤さんはそこで言葉を詰まらせました。その顔には、目も鼻も口もなかったというのです。
最も不気味なのは、この「集会」が毎月十五夜に目撃されていること。そして、その場所からは必ず、古い数珠の欠片が見つかるのです。
消えた村を辿る:地図に残る異形の記録
国土地理院の古い測量図には、奇妙な空白地帯として記録されていました。
「この空白地帯は、周囲の地形と明らかに不自然です」と指摘するのは、地理学者の高橋雅人教授。通常、このような地形の不連続性は、人為的な改変か、あるいは…何かの意図的な隠蔽を示唆するというのです。
さらに、1947年の米軍撮影の航空写真には、現代の写真には写らない建物の影が写り込んでいます。しかし、その影は地上の実際の物体とは一致しないのです。まるで、かつての村の姿が、写真乾板に焼き付いてしまったかのようでした。
地元新聞に掲載された戦後の目撃証言
昭和21年8月16日付の地元紙に、衝撃的な記事が掲載されていました。
「霧の中から現れた村—— 帰還兵が語る不可思議な体験」と題されたその記事には、こう記されています。「夜道を歩いていると、突如として濃霧に包まれた。そして霧が晴れた時、そこには見知らぬ村があった」
証言した元兵士の男性は、村の様子をこう語っています。「家々から漏れる明かりは青白く、道を歩く人々は皆、黒い喪服のようなものを着ていた。声をかけても誰も振り向かない。そして、村の中心には一人の老婆が座っていて…」
その先の証言は、突如として中断されています。記者は「取材中、男性は激しい痙攣を起こし、以降、一切の証言を拒否した」と記しているのです。
そして不気味なことに、この記事は翌日の訂正欄で「前日の記事は誤報であった」と打ち消されています。しかし、訂正記事を書いたはずの記者は、その日を最後に姿を消したと伝えられているのです。
不可解な現象を追う心霊探偵たちの足跡
「1972年の調査を最後に、多くの心霊研究家が、この場所の調査を避けるようになった」と語るのは、超常現象研究家の溝口玲子氏です。
その年、著名な心霊研究家チームが行った大規模調査で、不可解な事態が発生したのです。最新の測定機器を駆使し、科学的なアプローチで臨んだはずの調査でしたが、記録されたデータは全て異常値を示し、機器は次々と故障。
そして、調査団の中心メンバー5名が、原因不明の体調不良で倒れたといいます。「彼らは皆、同じ悪夢を見続けるようになった」と溝口氏。夢の中で、黒い着物の老婆に導かれ、見知らぬ村へと迷い込むという夢だったそうです。
調査データは紛失し、生還した研究者たちは、「あの場所には、二度と近づかない」と固く誓ったといいます。その後、彼らの多くは研究から身を引いていったのです。
謎の震動と奇妙な音:現地で起こる異常現象
最新のデジタル機器を使った調査でも、異常は続いています。
地震計が捉えた微細な震動は、人工的なものでも自然のものでもない周期を示しています。「まるで、地下で何かが脈打っているかのよう」と、地球物理学者の山本俊介教授は指摘します。
この震動は、旧暦の15日前後に特に顕著になるといいます。そして、その時に録音される音声には、必ず異常が混入する。雑音の中から、かすかに聞こえてくる数珠の音と、elderly womanの声。
最新のAI音声解析でも、この音声の正体は特定できません。通常の人間の声域を大きく外れ、しかも複数の声が同時に、異なる時間軸で重なり合っているというのです。
「科学では説明のつかない音響現象です」と、音響工学の専門家たちも頭を抱えています。
語り継がれる恐怖:地元住民が語る「村の祟り」
地域の古老たちは、この場所について語ることを極端に嫌がります。「話すだけでも災いを呼ぶ」と、彼らは信じているのです。
しかし、取材を重ねるうちに、代々語り継がれてきた「禁忌」の存在が明らかになってきました。それは、現代においても、確かな影響力を持ち続けているのです。
廃墟に残された文字と「怨念」の意味
「あの石碑には、決して近づいてはいけない」
地元の寺の住職、林覚心師はそう前置きしてから、衝撃的な話を聞かせてくれました。
かつての村の跡地から発見された石碑には、判読不能な文字が刻まれているといいます。しかし、この文字を写し取ろうとした者たちを、不可解な災いが襲うのです。
写真を撮影しても必ずブレて写る。拓本を取ろうとすると、突如として道具が壊れる。そして、手で触れた者は、例外なく激しい頭痛や発熱に見舞われるといいます。
「その文字は、人の目に触れてはならないものを封印している」と林師は語ります。「見るものを選ぶ文字」の存在。それは、現代科学では説明のつかない古の呪術の名残なのかもしれません。
地元の風習に生きる「村の祟り」とは
「カラスが群れをなして飛ぶ日は、決して山に入らない」
地元の暗黙のルールを、猟師の中島武夫さん(仮名)は教えてくれました。
代々、その土地で狩猟を生業としてきた中島家。しかし、おおよそ150年前から、特定の場所だけは避けて通るようになったといいます。
「獲物を追っていても、その境界線を超えた途端、動物たちは突如として姿を消す。そして、いつの間にか方向感覚を失い、気がつくと同じ場所をぐるぐると回っている」と中島さん。
さらに不気味なのは、その場所で撮影された写真には、必ず人の顔のような影が写り込むこと。「カメラのレンズに映る景色と、実際の風景が違って見える」という証言も複数あります。
そして、これらの現象は、現代のデジタルカメラでも同じように起こるのです。
霊に取り憑かれた者たちの末路:恐怖の実話
「最初は、ただの夢だと思っていました」
そう語り始めたのは、地元の高校教師、森山美咲さん(仮名)です。3年前、学校の課外活動で、禁忌とされる場所の近くを通った後から、奇妙な出来事が始まったといいます。
毎晩のように見る夢。黒い着物の老婆に導かれ、見知らぬ村へと足を踏み入れる夢でした。そして、目が覚めた後も、数珠を回す音が耳から離れなくなったと言います。
次第に、森山さんの様子はおかしくなっていきました。突然、明治時代の言葉を話し始める。深夜に「村に帰らなければ」とつぶやきながら歩き出す。そして、鏡に映る自分の姿が、徐々に老婆に変わっていくのを目にしたというのです。
「除霊を受けた後も、時折、あの老婆の声が聞こえてくるのです」と、森山さんは震える声で語りました。
知らずに足を踏み入れた者に襲いかかる呪い
「スマートフォンのナビに誘導されて、その場所に迷い込んでしまったんです」
都内から訪れた観光客の山田健一さん(仮名)は、昨年の夏、不可解な体験をしました。
ナビの指示通りに車を走らせていると、突如として濃霧に包まれ、GPSが異常な動きを示し始めたといいます。そして、霧が晴れた時、目の前には見知らぬ集落が。しかし、その集落は地図上には存在しないはずの場所だったのです。
「家々から漏れる明かりは青白く、不気味でした。そして、村の中心に座る老婆の姿を見た瞬間、車のエンジンが突然停止したんです」
その後、山田さんは原因不明の体調不良に苦しみ、今も定期的に神社での祓いを受けているといいます。
立ち入るなかれ!地元住民が恐れる「禁忌の地」
「その土地を通らねばならない時は、決して振り返ってはいけない」
地元の神主、浅野重臣氏は、古くから伝わる掟を教えてくれました。
特に旧暦の15日前後は要注意だといいます。その日に限って、通常とは異なる「何か」が出現するのだとか。足音が聞こえるのに人影がない。提灯の明かりが宙を舞う。そして、どこからともなく経文が聞こえてくる。
「一度でもその『何か』を見てしまうと、もう普通の生活には戻れない」と浅野氏は警告します。実際、好奇心から立ち入った若者たちの多くが、その後、奇妙な行動を示すようになったといいます。
夜な夜な「村に帰る」とつぶやき歩き出す。突然、明治時代の言葉を話し始める。そして最後には、忽然と姿を消してしまうのです。
終わらない恐怖:現代に続く「消えた村の怪奇現象」
スマートフォンやSNS、デジタル技術が発達した現代。しかし、その最新技術をもってしても説明のつかない現象が、今なお続いているのです。むしろ、現代のテクノロジーが、新たな形で「村」の存在を映し出しているともいえます。
未だに消えない霊の目撃情報:SNSに拡散する怪異
「投稿した写真に、見知らぬ人影が写り込んでいたんです」
インスタグラマーの江藤明子さん(仮名)が体験した奇妙な出来事は、SNSで大きな話題となりました。
山間部でのポートレート撮影中、不自然な霧に包まれた後、スマートフォンで撮影した写真に、黒い着物姿の人々が写り込んでいたのです。しかも、その人影は半透明で、地面に足がついていない。
さらに不気味なことに、その投稿を見た人々から、類似の体験報告が相次いだのです。場所も時期も異なるにもかかわらず、写り込む人影の特徴は、不気味なほど一致していました。
そして投稿者たちは、その後、決まって奇妙な夢に悩まされるようになったといいます。
夜中の道路に現れる「亡霊の集団」:現代でも続く謎
「ドライブレコーダーが捉えた映像は、科学的に説明がつかないものでした」
交通事故調査官の村上哲也氏は、首を傾げながらその映像について語ります。
深夜の山道を走行中、突如として濃霧に包まれ、そこに黒い着物姿の集団が現れる。しかし、急ブレーキをかけても、人影はすり抜けていくように消えていく。この現象は、複数の車載カメラが、異なる日時に記録しているのです。
「最新の画像解析でも、あの人影の正体は特定できません。霧の発生状況も、気象学的には説明がつかないものです」と村上氏。
さらに、その映像を詳しく確認すると、人影の中に、明治時代の軍服姿の男性や、数珠を持った老婆の姿も含まれていたというのです。
幽霊が導く怪現象:車両の突然停止や電波障害
「カーナビが突然、存在しないはずの道を表示し始めたんです」
プロのドライバーである中田祐介さん(仮名)は、昨年の夏、不可思議な体験をしました。
深夜の配送中、カーナビは地図にない山道へと誘導を始めます。そして画面上に、明らかに現代の地図とは異なる、古い街並みが浮かび上がったというのです。
「その直後、エンジンが突如として停止。携帯電話も圏外になり、車載機器は全て機能を停止しました」と中田さん。そして窓の外には、提灯の明かりを手にした人々の行列が…。
この現象は、中田さんだけの体験ではありませんでした。同じ地域で、複数のドライバーが類似の体験を報告。特に旧暦の15日前後に集中しているのです。
調査中の事故が相次ぐ「呪われた村」への潜入レポート
「取材班の機材が次々と故障していきました」
私たち取材班が実際に現地調査を行った際の記録です。最新のデジタルカメラ、録音機器、測定装置。全てが、この場所では正常に機能しないのです。
特に不可解だったのは、バッテリーの異常な消耗。フル充電した機器が、わずか数分で電力を失う。そして、録画データの中には、説明のつかない映像が紛れ込んでいました。
黒い着物の人影。青白い提灯の光。そして、何より不気味だったのは、カメラが捉えた風景が、私たちの目に映る光景と、明らかに異なっていたことです。
まるで、カメラは「別の時代」の映像を記録していたかのようでした。
未来永劫に続く呪い:村が遺した終わらない怨念
取材を終えて、私は一つの結論に至りました。
「消えた村」は、決して消滅したわけではない。むしろ、現代の世界と重なり合うように、確かに存在し続けているのです。
西郷隆盛が遭遇し、明治政府が封印しようとした村の謎。それは150年の時を超えて、今なお私たちの前に姿を現し続けています。
そして、あの老婆の姿を一度でも目にした者は、決して普通の生活には戻れないといいます。今この瞬間も、新たな「村人」が生み出されているのかもしれません。
あなたも、ふとした瞬間に、青白い提灯の明かりや、数珠を回す音に出会うかもしれない。その時は、決して振り返ってはいけません。
なぜなら、黒い着物の老婆に見つめられた者は、必ず「村」へと導かれることになるのですから…。
取材後記:会津に眠る封印された真実を追って
心霊ブロガーとして8年、私は日本各地の怪異を追い続けてきました。しかし、会津若松の山深い寺院で見つけた一枚の古文書が、この「消えた村」の取材の発端となるとは、その時は想像もしていませんでした。
戊辰戦争で会津藩が最後の抵抗を続けた二本松街道の奥。現在の福島県会津若松市と下郷町の境界付近の山中に、かつてあったとされる村の痕跡を追って、取材は始まりました。
地元の古老たちは、「大戸(おおと)の奥」と呼ばれるその場所について、頑なに口を閉ざします。しかし、私が偶然出会った90歳の老僧は、臨終の床でこう語りました。「あの村は、会津藩が極秘に抱えていた『何か』を守るために存在していた。そして西郷は、その秘密に触れてしまった…」
取材過程では、不可解な出来事が続きました。会津藩の古文書を調査していた際、明治初期の写真を発見。そこには確かに、山の斜面に建ち並ぶ民家と、その中心に建つ奇妙な堂宇が写っていました。しかし、スキャンしようとした瞬間、写真は原因不明の火で燃え上がり、灰となって消えたのです。
特に衝撃的だったのは、国土地理院の古い地図で見つけた空白地帯。現代のGPSでは「電波の死角」として記録されるその場所で、私たちの取材班は「異様な体験」をすることになります。真夏にもかかわらず、突如として冷気に包まれ、どこからともなく読経の声が。そして、生暖かい風に乗って、かすかな数珠の音が聞こえてきたのです。
現在、あの場所は「会津トンネル」の建設予定地となっています。しかし、不可解な事故が相次ぎ、工事は難航しているといいます。地元では「村の祟り」として、工事の中止を求める声も上がっているのです。
そして今、この原稿を書き終えた私の机の上には、古びた数珠が置かれています。会津特有の編み目を持つその数珠は、妙に冷たく、まるで骨で作られているかのよう。誰が置いたのか、私には分かりません。
この取材で明らかになった事実は、私たちの想像を遥かに超えるものでした。しかし、その全てを公開することは、まだ許されていないのかもしれません。
もし、あなたが会津を訪れる機会があれば、大戸の山々を見上げてみてください。霧の深い日には、今でも山の中腹に、幻のように建ち並ぶ家々が見えるという話です。ただし、決して近づいてはいけません。特に、旧暦15日前後の夜は…。
取材・執筆:小笠原ツトム 2024年11月8日 深夜0時15分 於:会津若松市内某所にて
※この記事の続編は、私が「大戸の奥」から戻ることができたなら、必ず書かせていただきます。
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