「この調査は、おそらく誰も望まない真実へと私たちを導くことになるでしょう」
私が地域史研究室でこの言葉を耳にしたのは、2018年の初夏のことでした。犬鳴トンネルに関する本格的な調査が始まってから、まもなくのことです。
当時、私たちは単なる都市伝説の検証のつもりでした。しかし、掘り進めれば進めるほど、より深い闇の存在を感じることになります。
この記録は、私、心霊ブロガー小笠原ツトムと調査チームが直面することになった、想像を超える事実の記録です。
消えた調査資料
この調査は、1999年の異常な失踪事件の多発がきっかけとなって始まりました。旧犬鳴トンネルは、1975年の新トンネル開通以来、日本有数の心霊スポットとして知られています。
特に1988年に発生した殺人事件以降、この場所での怪奇現象の報告は急増しています。事件の被害者が最後に目撃されたのは、トンネルの入り口付近でした。さらに、その後発生したホステス遺棄事件も、この場所の不気味な噂に拍車をかけることになります。
トンネル内では、白い着物を着た女性の姿が頻繁に目撃されています。訪れた人々は突然の恐怖感に襲われ、不可解な音や声を聞いたという証言が相次いでいます。特に新月の夜には、犬の遠吠えのような悲鳴が聞こえるといいます。
このような状況下、1999年に入ってからの失踪者数は、例年の1.5倍を超える事態となりました。地元警察は事件性を疑い捜査を進めていますが、監視カメラには不可解な映像が記録されるばかりです。
私たち調査チームは、この場所で何が起きているのかを明らかにするため、半年にわたる徹底的な調査を実施しました。本稿は、その過程で明らかになった衝撃的な事実の記録です。
1975年の新トンネル開通以降、旧犬鳴トンネルに関する公式記録は驚くほど少ないものでした。しかし、それは氷山の一角だったのです。
調査を進めるにつれ、私たちは行政文書の意図的な改ざんの痕跡を発見します。さらに不可解なことに、当時の関係者たちは口を閉ざしたままなのも違和感がありました。
この章では、系統的な記録の抹消と、そこから浮かび上がる不穏な真実の断片をお伝えします。
行政文書の空白期間
福岡県の公文書館で私が最初に気づいたのは、1972年から1975年にかけての行政文書の不自然な少なさでした。新トンネル建設の重要な時期にもかかわらず、残されている記録は断片的なものばかりです。
「確かにその時期の文書はありました」と語るのは、当時の行政職員A氏です。「ですが、ある日突然、上層部から文書の特別点検の指示が出されたんです」
A氏によれば、点検後に戻ってきた文書の量は、明らかに減少していたといいます。特に、トンネル建設に関する技術報告書や地質調査報告書が、ほぼ完全に姿を消していました。
残された文書を詳しく調べると、ページの欠落や、意図的な改ざんの跡が見つかりました。特に、地下水路の調査データや、地質構造に関する報告書には不自然な空白が目立ちます。
「不思議だと思いましたが、質問することはできない雰囲気でした」とA氏は語ります。「まるで、誰もが何かを恐れているようでした」
地域開発計画の矛盾
1971年に策定された当初の地域開発計画では、旧トンネルの位置から500メートルほど離れた場所にトンネルを建設する予定でした。この計画変更の背景には、不可解な出来事が隠されていました。
「なぜ突然、計画が変更されたのか、誰も明確な説明をしませんでした」と証言するのは、当時の設計コンサルタントB氏です。B氏の手元には、興味深い書き込みが残されていました。
「地点Xの地層に異常あり、迂回を推奨」という赤ペンでの走り書きです。この記録の直後、地質調査チームは突如として現場から撤収。彼らが残した機材の一部は、今でも発見されていません。
「チームの態度が、一晩で激変したんです」とB氏は振り返ります。「何かを見てしまった。そう感じました」残された図面には、通常では考えられない地層の乱れが記録されています。
後の調査で、この地点の土壌から微量の放射性物質が検出されました。しかし、その由来を説明できる者は誰もいません。この発見を機に私たちの調査は、新たな段階へと進むことになります。
失われた建設記録
建設会社の保管庫で発見された作業日報には、不可解な記述が散見されました。1973年8月15日の記録には、「坑道内で異常音を確認、作業一時中断」という記載があります。当時の現場監督C氏は、その日の出来事を鮮明に覚えていました。
「地中から聞こえてきた音は、人の声のようでもあり、獣の鳴き声のようでもありました」とC氏は震える声で語ります。「その直後、測定機器が全て故障しました」
しかし、その後の日報には、この件に関する続報はありません。さらに不可解なことに、8月16日から31日までの記録が丸ごと紛失しています。現場写真もすべて焼却処分されていました。
「上からの厳命で、その件については一切口外しないよう言われました」とC氏は証言します。「でも、あの音は今でも耳に残っています。それは人間の知るべきではない何かだったのかもしれません」
残された作業日報の端には、暗号のような文字列が記されていました。解読を試みましたが、その意味はまだ明らかになっていません。ただし、同じような暗号が、他の事故現場の記録にも散見されることが最近になって判明しました。
証拠品の紛失事件
1974年、建設現場で撮影された写真や測量データが保管されていた警察の証拠品保管室で、奇妙な出来事が発生しました。「一晩で、犬鳴トンネル関連の証拠品が全て消失したんです」と語るのは、元警察官のD氏です。
「防犯カメラには何も映っていませんでした。扉は施錠されたまま。完全な密室でした」とD氏は当時を振り返ります。残されていた証拠品目録には、「写真フィルム23本、測量データ5冊、音声記録テープ2本」との記載がありました。
特に不可解だったのは、保管室内の温度変化でした。「その夜、保管室内の温度が異常に上昇したんです。まるで何かが焼き尽くしたかのように」とD氏は語ります。
証拠品の紛失後、警察内部で秘密裏に調査委員会が設置されました。しかし、その調査結果は、現在も機密文書として封印されたままです。
関係者の証言によれば、紛失した証拠品の中には、「通常ではありえない」映像や音声が含まれていたといいます。
不可解な事故の連鎖
1972年から1975年にかけて、犬鳴トンネルの建設現場では、説明のつかない事故が相次いで発生していました。当時の新聞記事には、これらの事故は「通常の工事事故」として報じられています。
しかし、関係者たちの証言は、まったく異なる物語を示唆していました。私たちは、30年以上の沈黙を破って語り始めた作業員たちから、驚くべき証言を得ることになります。
建設作業員の証言
1972年8月、トンネル工事の深夜作業中に最初の事故が発生しました。重機オペレーターのE氏は、その夜の出来事を克明に記憶しています。現場責任者として、彼の証言は特に重要な意味を持っています。
「午前2時15分、重機のライトに人影が映りました。最初は作業員かと思いましたが、その姿は違いました。次の瞬間、制御不能になった重機が暴走を始めたんです」とE氏は震える声で語ります。
この事故で2名の作業員が負傷しましたが、公式記録では「操作ミス」とされています。しかし、E氏は20年以上の経験を持つベテランでした。事故報告書の作成時、上層部から記述内容の修正を強要されたといいます。
「私は、重機の異常を感じました。エンジンの音が変わり、まるで何者かに操られているようでした。そして、あの人影…人の形をしていましたが、どこか違和感がありました」
事故後、現場では同様の目撃情報が相次ぎました。特に深夜帯に集中し、必ず重機の誤作動を伴っていたといいます。さらに不可解なことに、これらの事故は必ず月の満ち欠けと連動していました。「新月の夜に限って起こる。そんな偶然があるはずがない」とE氏は付け加えます。
測量班の失踪事件
1973年9月、測量班の3名が坑道内で突如として行方不明になる事件が発生しました。24時間後、彼らは坑道の最深部で発見されましたが、その状況は不可解なものでした。
「3人とも、それぞれ別の場所で倒れていました」と当時の救助隊員F氏は証言します。「全員、意識はありましたが、記憶を完全に失っていたんです。まるで、別人のようでした」
さらに奇妙なことに、彼らの持っていた測量機器は全て破壊されていました。「まるで、何かを測ってはいけないものがあったかのように」とF氏は付け加えます。
3名は後に退職し、現在も当時の記憶を取り戻していません。しかし、興味深いことに、3人とも同じ夢を見続けているといいます。「深い穴の底で、何かが私たちを見ていた」という夢です。
その後の調査で、彼らが最後に記録した測量データには、説明のつかない異常値が残されていました。「通常ではありえない数値です」と専門家は証言しています。
機材の異常な故障
建設期間中、現場では説明のつかない機材の故障が続発していました。特に電気機器の故障が顕著でした。機械整備担当だったG氏は、これらの異常を克明に記録していました。
「新品の機械でも、坑道内に持ち込むとすぐに故障しました」とG氏は語ります。「しかも、故障の仕方が尋常ではありませんでした。内部回路が完全に溶解していたのです」
G氏が保管していた点検記録によれば、故障した機器の内部回路は「異常な高温で溶解」していたといいます。「まるで、強力な電磁波を浴びたかのようでした」
特筆すべきは、これらの故障には明確な周期性があったことです。「毎月15日前後に集中していました。まるで、何かの周期に合わせているかのように」とG氏は指摘します。
後の調査で、この時期に地中から異常な電磁波が発生していたことが判明しました。しかし、その発生源は特定されていません。「あの場所には、私たちの知らない何かがある」とG氏は確信しています。
中止された地質調査
1974年初頭、地質調査チームは坑道内で異常な発見をします。地中から説明のつかない振動が検出されたのです。地質調査員H氏は、その時の状況を詳細に記録していました。
「最初は地震かと思いました」とH氏は語ります。「でも、周波数分析の結果、これが自然現象でないことが判明したんです。振動は、何かの鼓動のような規則性を持っていました」
H氏のチームは本格的な調査を計画しましたが、突然の中止命令が下ります。「上層部から、即刻撤収するようにとの指示が来ました。理由は説明されませんでした」
調査データは上層部に没収され、現在も行方不明のままです。しかし、H氏は密かにデータの一部をコピーしていました。「振動の周期は、月の満ち欠けと完全に一致していました」
後の分析で、この振動が地下深くの空洞から発生していたことが判明します。「その空洞は、人工的に作られたものでした」とH氏は証言しています。さらに興味深いことに、その振動は年々強まっているという報告もあります。
封印された真相
私たちの調査が進むにつれ、より深い謎が浮かび上がってきました。それは、単なる事故や怪異現象の域を超えた、驚くべき事実の存在を示唆するものでした。
この章では、30年以上にわたって封印されてきた真相の一端に迫ります。それは、私たちの想像をはるかに超える、衝撃的な発見となりました。
警察の機密文書
2023年、匿名の情報提供者から一通の封書が届きました。そこには、警察の極秘文書のコピーが含まれていました。文書は1974年に作成された「犬鳴地区における異常現象の調査報告」と題されたものです。
「地下空間からの未知の放射線を確認」「生体に対する影響の可能性」「軍事利用の検討を提言」――これらの記述は、この場所で何が起きていたのかを示唆していました。
「このプロジェクトは、最高機密として扱われていました」と語るのは、当時の警察関係者I氏です。「文書の存在自体、極めて少数の人間しか知りませんでした」
特に注目すべきは、地下深くに存在するという「特殊な空間」についての記述です。報告書によれば、その空間は「既知の物理法則では説明できない特性」を持っていたといいます。
文書の最後には、暗号化された添付資料の存在が示唆されていましたが、その資料自体は発見されていません。「おそらく、意図的に破棄されたのでしょう」とI氏は語ります。
地下水脈の異変
地質調査の過程で、トンネル周辺の地下水脈が通常とは異なる挙動を示していることが判明しました。土木工学が専門のJ氏は、この現象を10年以上追跡調査しています。
「水脈が、何かの意思を持っているかのように動いています」とJ氏は語ります。「まるで、地下の何かを避けるように流路を変えているのです。これは自然現象としては説明できません」
J氏の調査によれば、この異常は現在も続いているといいます。特に注目すべきは、水質検査の結果です。「通常の地下水には含まれないはずの物質が検出されました」
分析の結果、その物質は既知の元素周期表に存在しないものだったことが判明します。「これは人工物質でもなく、自然界の物質でもありません。その起源は、まったく不明です」
地下水の流れは、月の満ち欠けに応じて変化し、特に新月の夜には完全に流路を変えるといいます。「何かが、水脈を操っているとしか思えません」
電磁波測定結果
2023年の調査で、私たちは最新の電磁波測定装置をトンネル内に設置しました。深夜0時から3時にかけて、異常な電磁波が検出されます。その時間帯に、作業員たちが最も多く心霊現象を目撃していました。
「前例のない波形です」と物理学者のK氏は語ります。「特に、人影が目撃される場所で強い反応が出ました。同時に、温度の急激な低下も記録されています」
測定中、調査員たちは異様な体験をしています。「誰かに見られている感覚。そして、女性の泣き声のような音が…」と、K氏は当時を振り返ります。
興味深いことに、これらの現象は1988年の殺人事件の発生場所で特に顕著でした。「機器の数値が突然急上昇し、同時に複数の隊員が体調不良を訴えました」
計測データは科学的な説明を拒むものでしたが、心霊写真に写る異常と完全に一致していたのです。
暗闇からの警告
深夜のトンネル内で、不可解な現象が頻発していた。設置した監視カメラには、人影とも影とも判別できない黒い塊が映り込み、同時に極端な温度低下が記録されました。
最も不気味だったのは、カメラに映った黒い人影が、1988年の殺人事件の被害者と同じ姿をしていたことです。首から上が映らない立ち姿。事件を知る者でなければ、気づくはずのない特徴がありました。
そして新月の夜には必ず、トンネルの最深部から女性の泣き声が聞こえてきたのです。防音マイクで収録を試みましたが、機器は異常な雑音を記録しただけでした。
調査チームの多くが体調不良を訴え、中には意識を失う者も出てきました。目覚めた彼らは口々に「地下に何かいる」とうわごとのように語ります。医師の診断では、重度のストレス反応とされましたが、全員が同じ症状を示していました。
特異な点は、これらの現象が工事中止になった場所で集中的に発生していたことです。あたかも、そこを掘り進めることへの警告のように。
消えた村の痕跡
トンネルの異常な現象の背後には、地図から消された村の存在がありました。
「この先、日本国憲法は通じず」という噂の看板。排他的な村人たち。私たちの調査は、トンネルと村の不可解な結びつきを明らかにしていきます。
憲法の及ばぬ村
「この先、日本国憲法は通じず」。朽ちた木札に刻まれたその文字は、かつての犬鳴村の存在を今も語り続けています。地図には載らないその村は、1988年の殺人事件以降、より濃い闇に包まれることになりました。
事件の被害者は村への入り口付近で発見されています。遺体は異様な形で損傷し、死因の特定すら困難でした。捜査報告書には、「通常の人為的な傷跡とは異なる」と記されています。
その後も村の入り口とされる場所では、心霊写真が頻繁に撮影されています。霧がかった写真には、着物姿の女性の後ろ姿や、異様に背の高い人影が写り込んでいました。
さらに追い打ちをかけるように、ホステス遺棄事件が発生しました。遺体発見現場では、説明のつかない足跡の列が残されていました。それは村の方向へと続き、突如として途切れていたのです。
村への入り口を見つけようとした人々は、決まって方向感覚を失い、気がつけば元の場所に戻っていました。まるで村そのものが、人を拒絶するかのようです。
消えた村人たち
村への入り口とされる場所では、夜になると異様な人影が目撃されています。着物姿の村人たちは、まるで誰かを待ち受けているかのように、トンネルの入り口付近に立ち尽くしています。
遺棄された遺体の近くでは、古い和紙が見つかっています。そこには「よそ者、立ち入るべからず」という文字が、にじんだ赤い染みとともに残されていました。文字は日に日に色を濃くしているといいます。
犬の遠吠えは、必ず新月の夜にどこからともなく聞こえてきます。1988年の事件以降、その鳴き声は特に甲高くなったと地元の人々は証言しています。その声は人間の悲鳴にも似ていました。
奇妙なことに、村の方向から聞こえてくる話し声は、すべて逆さまに録音されます。再生して反転させると「帰れ」「近づくな」という言葉になるのです。その声は子供のものでした。
村の入り口で撮影された写真には、着物姿の老婆たちが写り込んでいます。しかし、その表情は人のものとは思えないほどに歪んでいました。目の部分だけが、異様に光を放っているのです。
闇の儀式
村の最奥に佇む古い石碑から、異様な気配が漂っていたという、過去の報告があります。苔むした表面には判読不能な文字が刻まれ、月明かりに照らされると深い赤色に輝いていたというのです。
新月の夜になると、石碑の周囲から不気味な音が響き始めます。太鼓を打つ音、鈴の音、そして複数の人々の詠唱。これらは1988年の殺人事件の前夜にも記録されていました。
その時の調査報告には、石碑の周囲に、新しい足跡が残されていたそうです。すべて石碑に向かう一方向のみ。なぜか、帰りの足跡は一つも見つけられなかった、と報告書は結んでありました。
地元の言い伝えでは、この村は「人を喰らう場所」と呼ばれています。年間の失踪者数は公式記録の2倍以上にも及ぶとされ、その多くが新月の夜に消えたといいます。
石碑からは異常な磁場が放射されており、その強度は満月から新月にかけて徐々に強まっていきます。測定機器は新月の夜には機能せず、近づいた者は激しい頭痛に襲われるらしいのです。
封印された警告
1988年の事件以来、警察は村への立ち入りを完全に禁止しています。しかし、封鎖線の内側では今も異常な現象が続いているのです。
監視カメラには、時々、着物姿の人々の行列が映り込みます。列は必ず石碑に向かい、そこで突如として消失します。録画データは毎回、激しいノイズに阻まれるのです。
新月の夜には、村の方角からどこからかは不明ですが、犬の遠吠えが聞こえてきます。その声は次第に人間の悲鳴へと変化し、やがて突然途絶えるのです。
付近の地面からは、地質地盤調査の際、多数の人骨が発見されたと言います。それらは異様な形で折れ曲がり、何かに噛まれたような跡が残されていたといわれています。
最も恐ろしいのは、村に入ろうとする者の末路です。彼らは例外なく、「村人たちが迎えに来る」と口にした後、姿を消していくのでした。
現代の目撃証言
地図から消えた村は、今も人々を誘い込んでいるようです。2023年に入ってからの失踪者は、すでに例年の倍を超えています。警察の調査も、依然として進展を見せないまま。ここでは、近年の目撃情報を時系列で追っていきます。
深まる謎
夜の犬鳴トンネル付近では、不可解な現象が続発しています。若い女性の白い着物姿が目撃され、それに遭遇した者は 激しい頭痛に襲われるといいます。
自動車のライトの消失、エンジンの突然の停止など、理屈では説明がつかない現象が続発し、その噂がさらに人々の興味を煽り、今も興味本位の若者たちが後を絶ちません。
2023年6月、深夜の撮影を試みた写真家が、奇妙な映像を残しています。月明かりに照らされた道には、大勢の村人たちの姿が。しかも、その格好が少なくとも50年以上前のもので、さらに、その足元には影が映っていませんでした。
トンネルの奥からは、今も犬の遠吠えが響いてきます。その音は、かつての殺人事件の被害者の声にも似ているとか。録音を試みても、機器は異常な雑音を記録するだけなのです。
機材の故障、突然の体調不良、方向感覚の喪失―。これらの現象は、年々その発生頻度を増しているのです。
深夜の遭遇
封鎖された旧犬鳴トンネルの入り口付近では、不可解な目撃情報が相次いでいます。入り口に置かれた「立入禁止」の看板の前で、着物姿の女性が佇む姿が目撃されているのです。
遺棄されたホステスの亡骸が発見された場所では、夜な夜な提灯の明かりが揺れているといいます。その光に誘われるように、トンネルの封鎖部分から人影が這い出してくるのです。
新月の夜には、封鎖壁の向こうから、複数の人々の話し声が漏れ出します。声は必ず「この先、日本国憲法通じず」という言葉で始まり、やがて悲鳴のような犬の遠吠えへと変化していくらしいのです。
警察に通報があっても、現場に到着する頃には、すべての現象が静まり返っているといいます。ただし、封鎖壁には生々しい手形が残され、それは朝日とともに消えていくのです。
最近では、封鎖壁に「村がまた、人を選んでいる」という不気味な落書きが見つかりました。文字は日に日に色濃くなり、次第に赤く滲んでいくのです。
消えた調査チーム
2017年9月、新たな学術調査チームが旧犬鳴トンネルの調査を開始しました。しかし、封鎖壁の近くで不可解な現象が発生した直後、チームの5名全員が忽然と姿を消しています。
残されたビデオカメラには、衝撃的な映像が記録されていました。封鎖壁の向こうから人影が現れ、チームを取り囲んでいく様子です。不思議なことに、音声は一切記録されていません。
調査機材は原因不明の故障を起こしていました。気温の急激な低下も確認され、これは1988年の事件時と同様の状況だったといいます。
捜索時に発見された調査メモには「村が、私たちを待っていた」という走り書きが残されていました。また、紙面には生々しい血痕が染みこんでいたのです。
現場に残された機材類は、すべて原形をとどめないほどに破壊されていました。それは人為的な破壊とは明らかに異なる、得体の知れない力が働いた形跡を示しているのです。
封印の代償
いま、旧犬鳴トンネルの封鎖壁には無数の御札が貼られています。しかし、新月の夜になると御札は一枚ずつ剥がれ落ちていくらしいのです。
地元の古老たちは口をそろえて警告します。封印は限界を迎えつつあるのだと。1988年の事件以降、村の力は年々強まっているといいます。
御札が剥がれ落ちる度に、トンネルの奥から低いうなり声が聞こえてきます。それは人の声なのか、獣の声なのか、誰にも判別できません。
最近では、封鎖壁のコンクリートにヒビが入り始めています。ヒビの模様は、まるで人の形を描いているかのよう。そして、その数は日に日に増えているのです。
トンネルの封鎖が破られる時、「犬鳴村」は再び人々の前に姿を現すのでしょうか。新たな犠牲者を求めて、あの「憲法の届かぬ村」が動き出そうとしているのです。
編集後記
本稿は、犬鳴トンネルと犬鳴村に関する一連の調査報告をまとめたものです。1988年の殺人事件から、近年の不可解な失踪事件まで、この場所で起きた出来事を可能な限り検証してきました。
しかし、取材の過程で、私たちは単なる心霊スポット以上の何かがここにあると確信するようになりました。
「この先、日本国憲法通じず」という警告。トンネルの封鎖。そして今なお続く失踪事件。これらは偶然の重なりではないのです。
特に注目すべきは、事件や怪異現象の発生頻度が年々増加している点です。地元の住民たちが警告するように、何かが限界を迎えつつあるのかもしれません。
取材中、不可解な現象に遭遇した調査チームメンバーも少なくありません。機材の故障、突然の体調不良、そして記録できない「何か」の存在。私たちは、人知の及ばない領域に踏み込んでしまったのかもしれないのです。
最後に、この調査に協力してくださった多くの方々に感謝申し上げます。ただし、証言者の安全を考慮し、本稿では実名を伏せさせていただきました。
なお、本稿の内容は2023年10月時点のものです。その後も、旧犬鳴トンネル周辺では不可解な現象が続いているといいます。私たちの調査は、もう続けることは難しい状況ですが、なにもまだ分かっていないのです。
参考資料・取材協力者一覧
本稿の作成にあたり、以下の方々から貴重な証言や資料の提供を受けました。取材対象者の安全を考慮し、個人が特定される情報は控えさせていただいています。また、一部の資料については、情報開示請求中のものも含まれています。
なお、1988年の事件および犬鳴村に関する公的記録の多くは、現在も機密扱いとなっています。本稿で使用した資料は、情報公開法に基づいて開示された部分に限定されています。
取材協力者(敬称略)
- 福岡県警OB(1988年事件当時の捜査関係者)
- 地元町内会会長
- 神社関係者2名
- 地域史研究会メンバー3名
- 失踪者家族会代表
- 霊能者2名
- 気象庁OB(異常気象記録担当)
- 地質調査専門家
- 民俗学者
参考文献
- 『犬鳴村伝説考』民俗学研究会(1992)
- 『昭和期心霊スポット記録』心霊写真研究会(1995)
- 『消えた村の記録』地域史研究会(2002)
- 『未解決事件調査報告』福岡県警(1989)
- 『山岳地帯における異常現象の研究』気象庁研究紀要(1990)
- 『失踪事件データベース』警察庁(2020)
- 地元新聞社所蔵記事アーカイブ(1975-2023)
調査期間
2022年4月~2023年10月
取材地
- 旧犬鳴トンネル周辺
- 周辺集落5カ所
- 地元資料館
- 県立図書館
- 警察署資料室
- 地域史研究会資料室
以上、執筆は心霊ブロガー小笠原ツトムでした。
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